ワーホリでの地獄のような日々を経て、私は一つの結論に達しました。 「点数があっても意味がない」という言葉は、半分正解で、半分は間違いです。
今の私は、かつてのような「自慢したい」「他人を見下したい」という薄っぺらな承認欲求で勉強しているのではありません。
1. 逃げ場をなくすための「極致」
電車に乗っている時も英語に触れ、家に帰れば英語の動画を浴び、またTOEICの参考書を開く。 傍から見れば、以前よりもさらにスコアの奴隷になっているように見えるかもしれません。
でも、今の私にとっての「満点(990点)」は、誰かに誇るための飾りではなく、「自分という人間を、一つの分野で極め切った」という証が欲しいのです。
中途半端な945点で満足し、現地のノリに負けて腐っていた自分を、完全に過去にするために。私は「一つのことを極める」という、最もシンプルで最も過酷な道を選びました。
2. 「道具」を超えた、その先へ
英語は確かに道具です。 でも、その道具を徹底的に、狂気を感じさせるほどに磨き上げた先にしか見えない景色があると信じています。
単なる「会話のツール」としてだけではなく、自分の人生において「これだけは誰にも負けないほどやり抜いた」と言える何かが欲しい。 その対象が、私にとっては、かつて自分を呪縛した「TOEIC」だった。それだけのことです。
3. 私の戦いは、990点を取るまで終わらない
私のブログには、今も「練習問題」を求めて多くの人が訪れます。 以前はそれを自嘲していましたが、今は違います。
皆が解いているその問題の、さらに先へ。 「945点」という高い壁に絶望し、プライドを粉々に砕かれた男が、最後にどんな顔をして990点のスコアシートを掴み取るのか。
私のワーホリは終わりましたが、私の「TOEIC」という戦争は、まだ終わっていません。 満点を取るその日まで、私はこの地獄を、最高の悦びとして楽しみ続けます。


コメント